遠くの町に行くのかい
このブログは、プレイリストの再生数上位を埋め尽くしていた関ジャニ∞を聞く勇気が持てず、昨日からフジファブリックと真心ブラザーズを繰り返し流しているジャニオタが好き勝手に今の気持ちを文字にしたものです。
8人だった、そして7人の関ジャニ∞を応援してきた村上信五のファンとして、心の中に溜め込んでいたら前に進めなくなりそうなあれこれを閉まっておく箱として作りました。
10代だった私も、20代だった私も、きっとそう言われても信じなかったと思う。
だって関ジャニ∞は、メンバーひとりひとりが失う辛さを嫌というほど知っている。
失くしたものを取り戻そうと、足掻いて、叫んで、それでも元通りにならなかったあの日々を。
この時点ですでに、受け入れられない方もたくさんいらっしゃるかと思います。
無理をせず、今は自分の心に向き合うことを大切にして、そっとページを閉じてください。
読んだところで時間を浪費するだけの、何の得にもならない文章です。
むかしむかし、私は欠けてしまった関ジャニ∞がいつかまた元の形を取り戻すと信じていた。
8人を夢見ていた、2007年8月5日。
内くんが客席から花道に引っ張り挙げられた東京ドームで、私はその光景を目に焼きつけようと必死だった。
スポットライトを浴びる8人を見て、奇跡は起こせるんだと思った。
エイトもファンも、みんな顔を真っ赤にして泣きながら笑っていた。
すばるくんが叫んだ、「エイター!泣くな!笑えー!」って声が今も耳に焼きついている。
信じてきてよかった。
待っていてよかった。
コンサートの後、妹達と泣いたり笑ったりしながら家に帰った。
前例もある。きっと大丈夫。
どんな形で復帰するんだろう。
可愛い可愛い末っ子がお兄ちゃん達に囲まれて笑う姿を想像することは、何度も何度も思い描いてきたからとても簡単だった。
それはまるで現実のように鮮明だった。
待った。
ひたすら待った。
8人に戻ることは、無かった。
時おり、「何かあった」とまざまざ書いてある表情を見せることがあったメンバーの憔悴しきった顔を見るたびに、8人という言葉が喉にひっかかって出てこないようになった。
エイトは8人なのか、7人なのか。
私がやるせなさに口を閉ざすようになってからも、論争は何度となく交わされた。
ファン同士の、友人同士の争いを目にしながら、歯がゆい思いを何度もした。
ぶつけられた言葉の痛みから自分を守るために、返す言葉はさらに鋭く、硬いものになっていく。
だけどその怒りも、悲しみも、どこまでも関ジャニ∞への愛だった。
誰もが関ジャニ∞を、全員でなくとも関ジャニ∞である誰かを心の底から応援している。
その思いが本人にとってはこれ以上なく真っ直ぐで曇りのないものだからこそ、コンサート会場で一緒に肩を並べて笑い合える未来があったかもしれないひとつの縁が、どうしようもなくこんがらがってしまったんだと思うとただただ悲しかった。
それでも、関ジャニ∞はがむしゃらに、もがくみたいに前へと進み始めた。
思い通りにならない現実を誰よりも嘆いていたはずの彼らが、何もかもを本音で語るわけにはいかないアイドルという立場の隙間から、自分達の今の思いを教えてくれた。
感情を隠すのが上手いひとも不器用でつたないひともいたし、心配になるほど率直に話すひとも優しいオブラートに包んでくれるひともいた。
そんな彼らと一緒に、私はゆっくりと、7人を応援して行こうと思えるようになっていった。
そして、そう思える一番大きなきっかけになったのは、舞台や他のバンドで頑張る内くんの姿を見に行ったことだった。
いつまでも彼に関ジャニ∞を追い求めるのは「今の彼を認めない」と言っているようで失礼だと思えるぐらい、内博貴は眩しかった。
堂々と歌って、踊って、お芝居をして、舞台の上から大きく手を振ってくれた。
そして今、渋谷すばるの旅立ちを前にして、私はあの日々を思い出している。
(こういった意見が出ると思うので前もって触れておきますが、「罪を犯して脱退した(※実際に当時、8人否定派を名乗る方にブログへのコメントでこう言われたことがありました)のと今回の件は違う」という主張は、文章を綴ったものの責任として、また考え方の相違として、受け止める事までは致します。ただし今回の記事で私が伝えたいこととは全く見当違いなので、リアクションはお返ししません。ご了承ください。)
休止と脱退の違いってなんだろう。
脱退。
その言葉が選ばれた理由。
無い脳みそをフル回転させて考えたあげく辿り着いた結論は、アイドルとしての彼のファンである私にはとてもせつない事実だった。
渋谷すばるが異国で学び、刺激を受け、新しく生み出す音楽。
たとえそこに、今まで彼が関ジャニ∞として得たものが組み込まれていたとしても、それは彼だけの、彼がこれから関わっていく人々と作りあげた音楽になるということ。
休止ではなく、脱退。
だからそれを応援するとなった時、かたくなに再結成を前提として彼を追う声や、あくまでも関ジャニ∞の渋谷すばるとして彼の音楽を聞くのだという解釈が、時に彼の道を遮ることになるのではないかと不安になった。
もしかしたら、番組の企画や何かの趣向で、一夜だけの再結成が実現するかもしれない。
まだ7人の関ジャニ∞ファンである私自身も、心のどこかで、いつかの未来を諦めきれずにいる。
本音を言えば、8人が並ぶところだってもう一度見せてほしい。
でもそれはきっと、すぐそこにある未来ではない。
簡単にそれらが成し遂げられるなら、仲間を失くす痛みを誰よりよく知る彼は「脱退」という痛みをメンバーやファンに与えなかったと思う。
すべてを背負って歌っていこうと決めたんだと、自分を険しくて厳しい道にあえて追い込んだんだと、少なくとも私はそう思う。
ここから綴る私の考えが、「今すぐ関ジャニ∞の渋谷すばるファンをやめるべき」という極論として誤解されてしまわないか不安です。
だけどこういった記事のたぐいは、一度私の手を離れると、それを読み、解釈して、理解する人のものになるから。
そう受け取られてしまっても仕方が無いと、理解した上で書きます。
脱退したあと、「アイドルであれ」と他ならぬファンがいつまでも彼に強いてしまうことは、これからの渋谷すばるを前向きに応援していくことと同じでは無いと、私は考えています。
たとえばメトロックで議論になったように、これから彼が立つ舞台の客席にうちわやペンライトを持ち込むことは正しいのか。
「いつまでも再結成を願っています」というひっきりなしの声が、休止という甘えを許さず脱退を選んだ今の彼の耳にはどんな響きで届くのか。
「楽しいことしかなかったですね。それは一人じゃなかったですから。ありがたいことに仲間がずっと横にいてくれたんで」
「一番印象に残っていることは、メンバーと、何気ないこと、楽屋でしょうもないことを話したり、バカ笑いしている時の顔とか空気とかがなにか、いつも絶え間なくあったなというのが一番です」
会見の時、そう言ってくれてとても嬉しかった。
だからこそ、そんな居心地のいい楽屋から去ってまでひとりで歩く道を選んだその決意を、大切にしてあげたい。
さみしくて辛くて行き場のない気持ちが落ち着いてからでいいんです。
どうかひとりひとりが、ほんの少しだけでいいから、考えてみてほしい。
もしも、関ジャニ∞の渋谷すばるが恋しくてどうしようもなくなったら、一緒に関ジャニ∞のコンサートへ行きませんか。
会場で赤い物を身につけた方やすばるくんのうちわを見つけたら、「楽しみましょうね!」って、かならず、必ず声をかけるから。
なんだか、かっこつけた物わかりのいいことばかり書いた気がしますが、実は今も涙目のくせに死ぬほど強がって書いてます。
本音を言えば、どうにか今からでも夢オチにならないかなーって考えすぎたせいで睡眠時間が削られて、昨夜は夢を見る暇もありませんでした。
ぼーっとしすぎて猫にちゅーる二本あげそうになって止められたりもしました。※未遂です
でも、こんなふうにかっこつけようと思えるのは、これから応援、比較、様々な目線にさらされながら、足掻いて、叫んで、新しい音楽を一から作り上げていく関ジャニ∞の6人と渋谷すばるを、これからも応援していきたいと思うから。
逆境に強い彼らに、これからも、何度でも、驚かせてほしいから。
構成も脈絡もないですが、私の頭の中が同じ状態なのでどうかご容赦ください。
ここからは更に私的な文章となります。
村上信五のファンである私は、村上くんを応援するのとまた違った気持ちで、関ジャニ∞の渋谷すばるを敬愛していました。
関ジャニ∞の一番星。
まだ気が弱くて泣いてばかりいた頃の村上くんを、レッスン場に通う電車の中、モノマネでゲラゲラ笑わせてくれてありがとう。
「未定」壱という謎の舞台で、2人だけの世界を見せつけてくれてありがとう。
村上くんのわがままに付き合って、カラオケに行くたびハナミズキを歌ってくれてありがとう。
むかし雑誌の企画で、村上くんがすばるくんについてこう言っていたのを思い出します。
「ほんま俺にとってのすばるって、一言じゃ説明できん存在やねん。同じ夢を見てきて、それを叶えて、今も一緒に仕事してて。親友でもあるし、仕事仲間でもあるし、帰るとこが一緒な地元仲間でもあるし」
ほんとうは、ずっとずっと関ジャニ∞の、村上信五のそばにいてほしかった。
だけど、仕事仲間では無くなってしまったけれど、きっとこれからも渋谷すばるは村上信五にとって唯一無二の親友であり、顔を見ると昔に戻れる地元仲間であり続けるんだと信じています。
だから心がしんどい時は、実家に帰るような感覚で、幼なじみの彼に連絡してくれたらいいな。
遠くの町へ行ってホームシックになったとしても、大変便利なことに、あなたの実家のような存在は自分の足で勝手に動き回ります。
そしてあなたがよく知っている通りさみしがりやなので、某映画の動く城のように、勝手にあなたの住む町へ会いに来るかもしれません。
上京して一人暮らしをしていたあなたが心を閉ざしてしまった時、扉を開けてもらえないと知りながら部屋に何度も訪ねて来た、あの日のように。
動く実家。
迷惑だって笑うかもしれないけれど、その時はむっちゃんをよろしくね。ばぶくん。
渋谷すばるさん。
あなたの歌がこれからも、たくさんのひとの、一番星でありますように。
あなたの手がつかんだ景色をいつか見せてもらえることを、心から楽しみにしています。